熊本地震から10年 ~災害時の新生児搬送の記録~ その①|シュシュレディースクリニック 戸田公園|埼玉県戸田市の婦人科・美容皮膚科

         
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医療コラム

熊本地震から10年 ~災害時の新生児搬送の記録~ その①|シュシュレディースクリニック 戸田公園|埼玉県戸田市の婦人科・美容皮膚科

熊本地震から10年 ~災害時の新生児搬送の記録~ その①

【2016年4月14日21時26分ごろ、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード6.5、最大震度7の地震が発生。 熊本県益城町で震度7を観測。 人的被害として、死者 211 名、重傷者 1,142 名、軽傷者 1,604 名となった。 また、建物被害とし て、全壊家屋は約8千棟、半壊家屋は約3万4千棟、一部損壊家屋は約 15 万3千棟等、被害はあ わせて約 21 万棟に及んだ。】

2016年4月16日、21時26分。 鹿児島県にいた私は、けたたましく鳴り響く地震速報とともに、不気味なほど長く続く横揺れに見舞われていた。揺れがおさまった後も、胸の奥底にただならぬ「悪い予感」が渦巻いていた。

ほどなくして流れたニュース速報が、その予感の正体を告げた。熊本県で大地震が発生したというのだ。

当時、私は鹿児島市立病院のNICU(新生児集中治療室)に勤務しており、その日は「宅直」の当番だった。病院からの緊急呼び出しがあれば、いつでも自宅から駆けつける態勢である。 そして、私の胸騒ぎは間もなく現実のものとなった。

日付が変わった4月17日の深夜1時頃。静寂を破り、私の携帯電話が着信を告げた。 発信元は鹿児島市立病院のNICU。電話の主は、その日の当直医である山本医師だった。

「先ほどの熊本の大きな地震、先生もご存じだと思いますが……」 山本医師の声は、かつてないほど緊迫していた。 「熊本市民病院NICUの井上医師から、SOSの連絡がありました。『病院が倒壊しそうなので、入院している赤ちゃんの転院をお願いしたい』とのことです。どう対応すべきでしょうか?」

その言葉を聞いた瞬間、私の中に迷いは一切なかった。

「やるしかないだろう!」

躊躇なくそう叫んでいた。そして間髪入れず、新生児搬送用ドクターカーの出動準備を指示した。 その後のリスクや困難など、頭の片隅にもなかった。真っ先にドクターカーで熊本市民病院へ駆けつけ、一人でも多くの小さな命を鹿児島市立病院のNICUへ避難させる。ただそれだけだった。

私がこれほどまでに即決できたのには、理由がある。 実は私自身、この地震が発生するわずか半月前の2016年3月まで、同じ熊本市内にある「福田病院」のNICUに勤務していたのだ。熊本の地も、そこで闘う医療スタッフたちの姿が目に浮かんだ。決して他人事ではなかった。

急いで病院に駆けつけると、山本医師、同乗する看護師、そしてドクターカーの運転手がすでに待機していた。 「鹿児島の留守は頼む」と山本医師に託し、私は看護師とともにドクターカーへと飛び乗った。 運転手は「熊本には行ったことがなく、道が分かりません」と不安げだったが、「半月前まで住んでいた私が案内するから大丈夫だ」と伝え、すぐさまアクセルを踏み込んでもらった。

 

鹿児島市立病院を出発したのは、午前2時頃。あたりはまだ、深い闇に包まれていた。

しかし、出発して間もなく、車内の携帯電話が鳴った。留守を託した山本医師からだった。 「前出先生! 熊本へ通じる高速道路が通行止めになっています! このまま熊本へ向かうのは難しいかもしれません!」

出鼻を挫かれるような知らせ。だが、ここで怯むわけにはいかなかった。当時はまだスマートフォンの機能も十分ではなく、走行中の車内でリアルタイムの情報を集めるのは至難の業だ。

「了解した! こちらは行けるところまで行ってみる。病院の方でも情報収集を頼む。通行止めなどの情報があれば随時教えてほしい。こちらからも状況を報告する」

私は瞬時にルートの変更を決断した。高速道路での山越えを諦め、海岸沿いの一般道を北上するルートへ。 鹿児島市を出発し、川内、出水、そして熊本県の水俣へ。幸いなことに、一般道での道のりは順調だった。

揺れる車内では、運転手や看護師と「現地に到着したら、どのような手順で赤ちゃんを搬入するか」を綿密に話し合っていた。 そうして具体的なシミュレーションを重ねるうちに、頭が冷静さを取り戻し……ある「重大なこと」にハッと気づいた。

(しまった……上司である新生児内科の茨部長に、何の報告もせずにドクターカーを走らせている)

時刻はすでに深夜の4時。就寝中だろうから事後報告でもいいか、という悪魔の囁きもよぎったが、後から「勝手なことをして!」と大目玉を食らうのは避けたい。意を決して、茨部長の携帯電話を鳴らした。

案の定、何度かコールして、ようやく電話が繋がった。

「なんだ!?」 電話口から響いたのは、ドスの効いた、低く濁ったいつもの声だった。

「夜分遅くに申し訳ございません。昨日の地震で熊本から応援要請がありまして……事後報告で大変申し訳ないのですが、いま、ドクターカーで熊本に向かっています!」

一気にまくしたてた私に対し、返ってきた言葉は予想外のものだった。

「なんだ!? 昨日、地震なんてあったか?」

茨部長は出張が多いため、もしかすると鹿児島にはいないのかもしれない。そう思いつつ、私は状況を丁寧に説明した。 「昨日、熊本でかなり大きな地震がありました。倒壊の恐れがある熊本市民病院から、入院している赤ちゃんたちの転院搬送要請を受け、いまドクターカーで向かっているところです」

電話の向こうから、沈黙が流れた。 あまりに静かなため、(もしかして寝てしまわれたか?)と思った、まさにそのタイミングだった。

「おまえ、良いことしているな! そのまま迎えに行け!」

それは、力強く、迷いのないGOサインだった。

上司の言葉に背中を押され、ドクターカーはさらに北へとサイレンを鳴らしながらひた走る。 ふと窓の外を見ると、暗黒だった東の空が、少しずつ茜色に染まり始めていた。

(つづく)

2016年(平成28年)4月14日21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震。益城町で2度の震度7を観測するなど、九州地方を中心に甚大な被害をもたらした。

出典:熊本地震 (2016年) – Wikipedia

この記事の著者
院長 前出 喜信

院長 前出 喜信

産婦人科専門医・周産期専門医。約30年にわたり大学病院や総合周産期母子医療センターの最前線で勤務。鹿児島市立病院ではNICU医長としてドクターヘリ搬送や新生児救命に従事し、その活動はNHKでも紹介された。2016年熊本地震では現地支援チームに参加。現在はシュシュレディースクリニック戸田公園(埼玉県戸田市)にて、高度医療の経験を活かした婦人科・漢方・美容皮膚科診療を行っている。

〈参考文献〉

1. 災害急性期の周産期広域搬送

平川英司*1, 前出喜信*2, 徳久琢也*3, 茨聡*4
*1鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児内科, *2鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児内科科長, *3今給黎総合病院新生児内科部長, *4鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児内科部長
Fetal & Neonatal Medicine 8(3): 119-122, 2016.

2. 熊本地震における鹿児島県ドクターヘリを用いた新生児広域搬送

平川英司, 茨聡, 前出喜信, 石原千詠, 武藤充, 内藤喜樹, 山本将功, 山本剛士, 木部匡哉, 高山達, 栗本朋典, 大橋宏史, 小町詩織
鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児内科
日本周産期・新生児医学会雑誌 53(2): 519-519, 2017.

3. ドクターヘリの新生児搬送における有用性と今後の展開

平川英司, 茨聡, 徳久琢也, 坂元浩一, 前出喜信, 石原千詠, 佐藤恭子, 徳増裕宣, 徳増智子, 高尾大士, 下倉眞平, 内藤喜樹
鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児科
日本周産期・新生児医学会雑誌 48(2): 384-384, 2012.

4. 新生児搬送におけるヘリコプター搬送による時間短縮効果

平川英司1), 茨聡1), 徳久琢也2), 前出喜信1), 石原千詠1), 高尾大士1), 佐藤恭子1), 樺山知佳1), 山本将功1), 内藤喜樹1), 木部匡哉1)
1)鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児科, 2)愛育会福田病院新生児科
日本未熟児新生児学会雑誌 24(3): 599-599, 2012.

5. ドクターヘリによる周産期ドクターデリバリーの有用性

平川英司1), 茨聡1), 上塘正人2), 前田隆嗣2), 前出喜信1), 中目和彦1), 石原千詠1), 桑原貴子1), 高尾大士1), 佐藤恭子1), 内藤喜樹1), 樺山知佳1)
1)鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター新生児科, 2)鹿児島市立病院総合周産期母子医療センター産婦人科
日本周産期・新生児医学会雑誌 49(2): 643-643, 2013.